【送料無料】 セルゲイ・クーセヴィツキーの芸術(40CD) 輸入盤 【CD】

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基本情報ジャンルクラシックフォーマットCDレーベルArtis *classics*発売日2017年08月30日商品番号ARTIS-020発売国Korea組み枚数40関連キーワード value 0651307880101 【FS_708-2】出荷目安の詳細はこちら>>楽天市場内検索 『在庫あり』表記について商品説明クーセヴィツキーの芸術(40CD)過激なチャイコフスキー第5番や、やりたい放題の『悲愴』、作曲者も絶賛したシベリウス、どこまでも熱いブラームス、不思議な『ツァラトゥストラ』など面白い演奏にこと欠かない往年の大指揮者、クーセヴィツキーは、『展覧会の絵』ラヴェル版、バルトークのオケコン、トゥーランガリラ交響曲といった傑作が誕生するきっかけをつくったことでも有名。

 1874年ロシア帝国に生まれたクーセヴィツキーは、若いころはコントラバス奏者として活躍していましたが、ベルリンでニキシュに師事して指揮者に転向、以後、1924年にボストン交響楽団の音楽監督に就任すると25年に渡って辣腕を振るい、バーンスタインに最も影響を与えた人物としても知られることとなります。

 その芸風は、推進力に富む柔軟なテンポによる力強く華麗なもので、コントラバス10人の大編成オーケストラ・サウンドに、ときにポルタメントまで駆使する表現の振幅の大きさが魅力ともなっています。

 クーセヴィツキーは1951年に亡くなっているため、遺された録音はすべてモノラルですが、そうした古い音からもボストン交響楽団を鼓舞した熱演の様子は伝わってきますし、バーンスタインに影響を与えた独特の情熱的な芸風をチェックできるという意味でもそれらの音源は資料性の高いものと言えるかもしれません。

 今回、韓国のARTISから登場する40枚組ボックスは、1929年から1950年にかけて収録された音源を集めたもので、RCAへの録音を中心に、EMI、SONYへの録音とライヴ音源から構成される大規模で興味深い内容となっています。

【クーセヴィツキー・プロフィール】セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・クーセヴィツキーは、1874年7月26日、モスクワとサンクトペテルブルクの中間付近にある古都、ヴイシュニー・ヴォロチョークのユダヤ系音楽一家に誕生。

 幼いころからヴァイオリン、チェロ、ピアノ、トランペットを演奏していたクーセヴィツキーは、本格的に音楽の勉強をしようとしますが、当時のモスクワはユダヤ教徒の移住を受け入れていなかったため、クーセヴィツキーはルター派プロテスタントに改宗、さらに奨学金を得るために、進学希望のモスクワの学校で残っていた奨学金対象科目であるコントラバスを選択。

18歳の時に、モスクワで開かれた電気の博覧会の会場でピアノを演奏するラフマニノフ[1873-1943]と出会い、以後、半世紀に渡って交流することとなります。

コントラバス奏者1894年、20歳の時にボリショイ劇場管弦楽団の楽員として演奏するようになり、1896年にはコントラバス独奏者としての活動も開始、1901年には首席奏者に任命されています。

 1902年、ラフマニノフと共にバイロイトを訪れ、ワーグナー未亡人達から迎えられて『指環』『パルジファル』『オランダ人』を鑑賞。

同年、友人の作曲家グリエール[1875-1956]にコントラバス作品の作曲を依頼し、自身もコントラバス協奏曲を作曲。

さらに同年には、ボリショイ劇場バレエ・ダンサーのナデージダ・ガラートと結婚してもいます。

 1903年、ベルリンでリサイタルを開催し、コントラバスの名手としての評価を獲得。

同年、ラフマニノフがボリショイ劇場の指揮者となり、その指揮のもとで演奏するうち、クーセヴィツキーは指揮者になる意思を固めます。

大富豪の娘との出会い1905年、ナデージダと離婚したのち、クーセヴィツキーに好意を寄せていた紅茶商人ウシコフの娘ナターリア[1880-1942]と再婚。

大富豪の莫大な財力を得たクーセヴィツキーは、ボリショイ劇場管弦楽団を辞し、ナターリアと共にベルリンに向かいます。

ベルリン時代1905年、クーセヴィツキーはアルトゥール・ニキシュ[1855-1922]を経済的に支援して指揮の指導を受け、1907年にはベルリンの音楽院のオーケストラを相手に指揮者デビューしています。

その間、マーラーと親しかった指揮者オスカ


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